2019年8月23日(金)



「本日2019年8月23日(金)にEDINETに提出された全ての法定開示書類」



Today (i.e. August 23rd, 2019), 357 legal disclosure documents have been submitted to EDINET in total.

本日(すなわち、2019年8月23日)、EDINETに提出された法定開示書類は合計357冊でした。

 

 

「ゼミナール 金融商品取引法」 大崎貞和 宍戸善一 著 (日本経済新聞出版社)

第2章 上場制度と発行開示
2. 取引所の上場制度
(2) 上場廃止
経営破綻以外の理由による上場廃止
「71〜72ページ」





TOKYO PRO Market
ttps://www.jpx.co.jp/equities/products/tpm/index.html

 


2018年12月18日(火)のコメントで、ソフトバンク株式会社の上場に関する記事を計26本紹介し、
「有価証券の上場には4つのパターンがある。」という資料を作成し、以降、集中的に証券制度について考察を行っているのだが、
2018年12月18日(火)から昨日までの各コメントの要約付きのリンクをまとめたページ(昨日現在、合計248日間のコメント)。↓

各コメントの要約付きの過去のリンク(2018年12月18日(火)〜2019年4月30日(火))
http://citizen.nobody.jp/html/201902/PastLinksWithASummaryOfEachComment.html

各コメントの要約付きの過去のリンク その2(2019年5月1日(水)〜)
http://citizen2.nobody.jp/html/201905/PastLinksWithASummaryOfEachComment2.html


 

 



【コメント】
最近5日間のコメントに一言だけ追記をします。
一昨日のコメントでは、「1999年10月以前の伝統的な証券制度では、理論上は上場企業は配当を支払ってはならなかった。」
という1つの理論上の結論について書きましたし、
昨日のコメントでは、「1999年10月以前の伝統的な証券制度では、理論上は上場企業は株主優待を行ってはならなかった。」
という1つの理論上の結論について書きました。
関連する・類似する論点になりますが、今日は次のようなある1つの理論上の結論が頭に浮かびました。
「1999年10月以前の伝統的な証券制度では、理論上は上場企業では株式に議決権はあってはならなかった。」
当時の証券制度では全株主が1単位しか所有してなかったのだから株式に議決権があっても特段問題はないのではないか、
と思われるかもしれませんが、株式に議決権がありますと「株式の取引」に証券制度上の問題が生じるのです。
すなわち、株式に議決権がありますと、議決権を行使するための基準となる日(当時の証券制度では毎年3月31日)の前は
相対的に買い注文が集中しやすくなりますし、逆に、その日の後は相対的に売り注文が集中しやすくなってしまうわけです。
1999年10月以前の伝統的な証券制度では、特定の日に注文が決して偏ることなく、
1年を通じて安定的・平均的に買い注文と売り注文が分散していなければならなかったのです。
株式に議決権がありますと、投資家はどうしても議決権を行使するための基準となる日を意識してしまいます。
株主総会に出席できるか否かがそれで決まるわけですから、当然でしょう。
一言で言えば、買い注文と売り注文が特定の日を中心に偏ってしまうことになる要因は、証券制度上阻害するべきなのです。
会社に対する影響力という観点からではなく、「株式の取引」という観点から言えば、上記の結論になります。
それから、一昨日のコメントでは、「TOKYO PRO Marketは、実は、現行の証券制度における
最も代表的な(=証券制度上の前提に最も合致した)株式市場である。」と書いたわけですが、
「TOKYO PRO Market」について考えれば考えるほど、「TOKYO PRO Market」は証券制度について理解を深めるヒントである、
と思うようになりました。
「TOKYO PRO Market」をヒントにと言うと少し違うかもしれませんが、今日は次のような図を描いてみました↓。

「日本における証券制度の変遷」


図を描きながら、「日本における証券制度は1999年10月に先祖返りした。」と言っていいのではないかと個人的に思いました。
インターネットという文明の利器を得て、真に「ディスクロージャー」によって投資家の利益を保護できるインフラを整えて
証券制度が帰ってきた、という言い方ができるのではないかと思います。
図中にも書いていますが、1893〜1971年の間の証券制度は、5ヵ年の財務諸表のみで株式の本源的価値を算定できる、
という証券制度ではなかったのだと私は考えます。
1893年の取引所法が発行者に対し5ヵ年の財務諸表の開示を求めていたので、それで事足りるのだと私は(も?)勘違いしました。
「5ヵ年の財務諸表」というのは、1893年当時においても"minimum"(最少限度)のものだったのだと私は今考えているところです。
現実にはその手段は一切なかったのですが、1893年当時においても証券制度は「ディスクロージャー」によって
投資家の利益を保護しようとしていたのだ、と私は今考えているところです。
1893〜1971年の間は、むしろ逆に、「極めて特殊な証券制度を採用していた時期であった。」と捉えるべきななのだと思います。
また、2019年2月20日(水)のコメントでは、「純粋な理論上の株式市場」(株式市場の理論的枠組み・概略)について考察を行い、
「純粋な理論上は、連続するどの5ヶ年間を見ても投資家は株式の本源的価値が分かる。」、という趣旨のことを書きました。
しかし、今日はこのコメントを少しだけ訂正したいと思います。
正しくは、「1999年10月以前の伝統的な証券制度では、連続するどの5ヶ年間を見ても投資家は株式の本源的価値が分かる。」です。
2019年2月20日(水)のコメントは、「1999年10月以前の伝統的な証券制度における株式市場」(当時の理論的枠組み・概略)
について述べたものだと思ってください。

 

 



Directors of a company whose share is listed in the TOKYO PRO Market must execute operations of it
on the presupposition in some degree that they are supposed to liquidate it in course of time.
On the traditional securities system before October, 1999, the securities system used to presuppose
that a listed company would never be liquidated.
On the other hand, on the current securities system, the securities system presuppose in theory
that a listed company is expected to be liquidated in course of time.
For, quite contrary to the traditional securities system before October, 1999,
an investor can't too much expect an "exchange" of his own share for cash on the current securities system.
Please let me repeat the basic principle of a securities investment once again.
An investor completes his own securities investment either through an "exchange" or through an "expiry."

TOKYO PRO Marketに株式を上場させている会社の取締役は、
やがては会社を清算させることになっているということをいくらかは前提として、会社の業務を執行しなければなりません。
1999年10月以前の伝統的な証券制度では、上場企業は決して清算しないということを前提としていました。
一方、現行の証券制度では、上場企業はやがては清算されるはずであるということを理論上は前提としているのです。
というのは、1999年10月以前の伝統的な証券制度とは正反対に、
投資家は所有株式を「売却」するということは現行の証券制度ではあまり期待できないからです。
証券投資の基本原理をもう一度言わせて下さい。
投資家は、「売却」か「満了」かのどちらかによって自身の証券投資を終えるのです。

 


The traditional securities system before October, 1999 merely used to "insist" that an intrinsic value of a share
was able to be calculated perfectly on the basis of "financial statements of 5 consecutive years" only.

1999年10月以前の伝統的な証券制度は、「株式の本源的価値は『5ヵ年の財務諸表』のみに基づいて完璧に算定できるのだ。」
と「力説」していただけなのです。

 


A securities system has no choice but by its real nature to rely on a "disclosure"
for the purpose of an "investor protection."
To put it simply, the traditional securities system before October, 1999 used to be a hypocrite (it's a joke though).
A "disclosure" stands at  the center of an "investor protection" not only in the old days but also in the present day.

証券制度というのは、「投資家保護」のためには本質的に「ディスクロージャー」に頼らざるを得ないのです。
簡単に言えば、1999年10月以前の伝統的な証券制度は偽善者だったのです(冗談ですが)。
今も昔も、「ディスクロージャー」というのは「投資家保護」の中心に位置するものなのです。