2019年8月10日(土)



2019年8月10日(土)日本経済新聞
親族の債務 知らずに相続人に 認知後3ヵ月 放棄可能 最高裁初判断
(記事)




>▼再転相続
>民法は再転相続の場合も、通常の相続と同様に「自分のために相続の開始があったことを知った時」から3カ月以内に
>承認か放棄かを決めなければならないと定めている。

 

 

相続の承認又は放棄をすべき期間についての民法の条文↓


第九百十五条 相続人は、自己のために相続の開始があったことを知った時から三箇月以内に、
相続について、単純若しくは限定の承認又は放棄をしなければならない。


第九百十六条 相続人が相続の承認又は放棄をしないで死亡したときは、前条第一項の期間は、
その者の相続人が自己のために相続の開始があったことを知った時から起算する。

 

 


2018年12月18日(火)のコメントで、ソフトバンク株式会社の上場に関する記事を計26本紹介し、
「有価証券の上場には4つのパターンがある。」という資料を作成し、以降、集中的に証券制度について考察を行っているのだが、
2018年12月18日(火)から昨日までの各コメントの要約付きのリンクをまとめたページ(昨日現在、合計235日間のコメント)。↓

各コメントの要約付きの過去のリンク(2018年12月18日(火)〜2019年4月30日(火))
http://citizen.nobody.jp/html/201902/PastLinksWithASummaryOfEachComment.html

各コメントの要約付きの過去のリンク その2(2019年5月1日(水)〜)
http://citizen2.nobody.jp/html/201905/PastLinksWithASummaryOfEachComment2.html

 

 


【コメント】
相続放棄に関する裁判が行われたようですが、裁判の概要が書かれていますので記事の冒頭を引用します。

>伯父の債務を相続放棄しないまま父親が死亡した場合、その債務を引き継ぐことになった子どもは
>いつまでに相続放棄すれば返済を免れるのか。
>こうしたケースで、最高裁第2小法廷(菅野博之裁判長)は9日、子ども自身が債務の相続人になったことを知ってから
>3カ月以内に相続放棄すればよいとする初判断を示した。

このたびの裁判では、親が熟慮期間中に相続放棄せずに死亡し、債務が子どもに引き継がれる「再転相続」と呼ばれるケース
での熟慮期間の起算点が争われていた、とのことです。
民法の条文には「再転」という文言はない(したがって、「再転相続」や「再転相続人」という用語は民法上はない」)のですが、
民法の第九百十六条が記事で言うところの「再転相続」に関する条文となっています。
しかし、記事や民法の条文を読めば読むほど、「この争点はそもそも全く裁判にならないのではないか?」と思うようになりました。
なぜならば、「再転相続」における熟慮期間は「自己のために相続の開始があったことを知った時から起算する」と
まさにそのまま民法の第九百十六条に書かれているからです。
熟慮期間の起算点は「父親の死亡時」であると主張することができないことは、あまりにも明らかだと思います。
熟慮期間の起算点を「父親の死亡時」であると解釈することは、根本的に不可能なことです。
仮に、民法に、第九百十六条が存在せず、第九百十五条しか存在しないのであれば、
「相続人に相続を行うか放棄するかを選ぶ機会を保障するのが民法の規定(第九百十五条)の趣旨なのだから、
自分が再転相続人になったことを知った時点(通知が届いた日)を起算点にすると考えるべきであろう。」
というような論理展開が裁判の中でなされることになるわけなのですが、
民法に第九百十六条が存在する以上、「再転相続」における熟慮期間の起算点については
「自己のために相続の開始があったことを知った時から起算する」という取り扱い以外は絶対に考えられないわけです。
この取り扱いは、解釈などと呼ばれるものでは全くなく、むしろ定義に近い(条文の文言そのまま)わけです。
ここまで書いて、私は自分が少し勘違いをしていることに自分で気が付きました。
熟慮期間の起算点は、「父親の死亡時」かそれとも「自分が再転相続人となっていることを知った時」か、で争われたわけです。
確かに、原告の立場からすると、裁判で争いたくなる部分である(原告は自分が再転相続人であることすら知らなかったから)、
と今気が付きましたが、第九百十六条に答えがそのまま書かれてあるのもまた確かであるわけです。
第九百十六条から言えば、熟慮期間の起算点は「父親の死亡時」であるとしか取り扱いようがありません。
第九百十六条の規定の趣旨は、「債権者保護」である、と私は考えます。
被相続人と相続人との関係は債務者と債権者との関係よりもはるかに濃い(被相続人と相続人は密接であり一体的関係にあるから)、
というのがその理由です(原告の主張も分かるが、被告から見ると被相続人と相続人は承継がなされる以上法律上1人にも見える)。
一言で言えば、そもそも赤の他人は相続をできないのです。
「あなたは伯父の債務を知った上で父の財産を相続したはずだ。」と被告は原告に言いたくなるはずです。
債権者の立場から見ると、伯父が債務を抱えていたことを原告女性が知っていたかどうかは関係がないではないか、
と言いたくなるはずです(被相続人の財産に属した「一切の権利義務を承継する」、そもそもそれが相続のはずだからです。)。
「被相続人にどのような債務があったのか自分には分からないと言うのなら、相続それ自体を放棄するべきだ。」
(被相続人にどのような債務があったとしても自分が承継するという覚悟・法的前提であなたは被相続人の財産を相続したはずだ)、
債権者である被告は、原告女性にこう言いたいはずです。


 


記事には、「再転相続」に関するこれまでの実情について、つぎのように書かれています。

>これまでは親族の債務に関する子どもの認識にかかわらず、親の死亡を知った時点を
>熟慮期間の起算点とする法解釈が通説だった。
>今回の最高裁判断により、見に覚えのない親族の債務の再転相続人になった場合に、
>相続放棄が認められる余地が広がる可能性がある。
>相続財産の処理や債権回収の実務に影響を与えそうだ。

親族の債務に関する子どもの認識にかかわらず親の死亡を知った時点を熟慮期間の起算点とするという取り扱いは、
もはや法解釈ではなく、やはり定義に近い(条文の文言そのまま)と考えるべきです。
第九百十六条の規定の趣旨は、「債権者保護」なのです。
被相続人にどのような債務があったとしても自分が承継するという覚悟・法的前提で相続人は被相続人の財産を相続する、
というのがそもそも相続の定義であるわけですから、
「親族の債務のことは自分は知らなかった。」という相続人の言い分は一切通らないわけです。
しかも、よくよく考えてみますと、「相続をした後になって相続を放棄することはそもそもできない。」わけです。
このケースにおいても、原告女性が自分が再転相続人になっていることを知ったのは、実は相続を行った後なのです。
一言で言えば、この原告女性は父の財産を既に相続しているのです。
父の財産を相続した後になって、この原告女性は財産を放棄したいと主張しているわけです。
この裁判では、そもそも時間的にできないことを議論しているように思えます。
結論を端的に言えば、実は、相続の定義からして、「親族の債務のことは自分は知らない」ということ自体がない、
という考え方になるのです。
仮に相続人本人は本当に知らなかったのだとしても、被相続人の財産に属した「一切の権利義務を承継する」ということになります。
それが相続です。
第八百九十六条(相続の一般的効力)には、次のように書かれています。

相続人は、相続開始の時から、被相続人の財産に属した一切の権利義務を承継する。

死亡した者の権利義務をすべてまとめて引き継ぐことから、相続人のことを包括承継人ということもある、
と民法の教科書には書かれています。
死亡者が残した全責任は私が負います、それが相続なのです。
基本的にはと言いますか原則的にはと言いますか、相続人は被相続人の財産を包括的に承継することになります。
ただ、変則的にはと言いますか例外的にはと言いますか、現行民法上は相続人は被相続人の財産を放棄することもできます。
しかし、私個人の考えになりますが、どのような場合でも相続人は被相続人の財産を包括的に承継しなければならない、
という考え方が正しいと私は考えます。
その理由は、相続財産がプラスの場合、相続人は無条件に被相続人の財産を相続できるからです(そのような法的地位にあるから)。
被相続人と相続人は、ただ財産の承継が行われるだけの間柄ではありません。
家族関係を基にした極めて特別な間柄である(単なる債権債務関係にある間柄とは根本的に異なる)わけです。
子は親の財産を「当然に」相続できる以上、その際の財産の承継は常に包括的でなければならない(いいとこ取りはできない)、
という考え方になると私は考えます(家族や扶養といった他では見られない特別な人間関係から発生するのが相続のはずです)。
また、第九百条には「法定相続分」に関して判断の分かれようのない(必ず「法定相続分」が一意に決まる)明文の規程がある
にも関わらず、第九百六条には各相続人の現状を鑑みて「相続分」を決定するようにとの規定もあります。
相続の「包括承継」ということを鑑みれば、理論的には相続人の人数は1人でなければならない、という考え方になるでしょう。