2019年8月9日(金)



2019年8月9日(金)日本経済新聞
きょうの決算発表
(記事)





2019年8月8日(木)日本経済新聞 公告
事業の全部譲受けに関する公告
三井住友信託銀行株式会社
(記事)





2019年8月8日(木)日本経済新聞
日本フォーム、特注指定 東証
(記事)


 


2018年12月18日(火)のコメントで、ソフトバンク株式会社の上場に関する記事を計26本紹介し、
「有価証券の上場には4つのパターンがある。」という資料を作成し、以降、集中的に証券制度について考察を行っているのだが、
2018年12月18日(火)から昨日までの各コメントの要約付きのリンクをまとめたページ(昨日現在、合計234日間のコメント)。↓

各コメントの要約付きの過去のリンク(2018年12月18日(火)〜2019年4月30日(火))
http://citizen.nobody.jp/html/201902/PastLinksWithASummaryOfEachComment.html

各コメントの要約付きの過去のリンク その2(2019年5月1日(水)〜)
http://citizen2.nobody.jp/html/201905/PastLinksWithASummaryOfEachComment2.html

 

 


【コメント】
本日2019年8月9日(金)付けの日本経済新聞に「きょうの決算発表」が載っていました。
通期の決算や四半期の決算が発表される時期(各決算短信が発表される時期)には、このような記事がいつも載っています。
1999年10月以前の伝統的な証券制度では、上場企業がいつ有価証券報告書を提出するのかが事前に日本経済新聞に掲載されていた、
という話を聞いたことを今日思い出しました。
当時の決算発表というのは、イコール有価証券報告書の提出であったわけですが、
当時、投資家は日本経済新聞を見て自分は一体いつ財務局へ行けばよいのかを判断してたわけです。
当時は、有価証券報告書の提出日は日本経済新聞を通じて事前に分かるものであった、という証券制度であったわけです。
現在の証券制度では、決算短信の発表日も有価証券報告書の提出日も事前には分からない、という証券制度になっています。
ただ、「決算短信 発表日」というキーワードで検索をすると、次のページがヒットしました↓。

決算発表スケジュール(日本経済新聞)
ttps://www.nikkei.com/markets/kigyo/money-schedule/kessan/

証券取引所に提出をされる決算短信の提出スケジュールを、日本経済新聞が知っている、ということになります。
慣習上、日本経済新聞が決算短信の提出スケジュールを取りまとめることになっているのでしょうか。
証券取引所がこの種の決算短信の提出スケジュールを取りまとめるというのならまだ分かりますが。
まあ、それを言うならば、1999年10月以前の伝統的な証券制度ではなぜ日本経済新聞は財務局への有価証券報告書の
提出スケジュールを知っていたのか、という話になるかもしれませんが。
「発行者は有価証券報告書の提出予定日を日本経済新聞に事前に通知しなければならない。」、
という旨の規定はどこにもなかったのではないかと思いますが。
現在でも、「発行者は決算短信の提出予定日を日本経済新聞に事前に通知しなければならない。」、
という旨の規定はどこにもないのではないかと思います。
端的に結論を言えば、この種の決算短信の提出スケジュールを取りまとめ公表するのは、証券取引所の役割であると私は考えます。
それから、2019年8月7日(水)のコメントで、私は次のように書きました。

>端的に言えば、将来の業績を予想するためには、事業運営の全てが経常的("ordinary")でなければならないわけです。
>逆から言えば、損益計算書に特別損益が計上される時点で、将来の業績を予想することはできなくなる、ということになります。
>1999年10月以前の伝統的な証券制度では、理論上は実は上場企業は特別損益を計上してはならなかった、ということになります。

1999年10月以前の伝統的な証券制度においても、発行者が清算することは前提としていなかったわけなのですが、
理論上の話をすると、投資家が予想をするべき毎期毎期の利益額の中には会社清算の際の利益額も含まれることになるわけです。
会社を清算する時には、会社財産の全てを処分せねばなりません。
会社清算の際、会社の事業の全部を譲受けてくれる会社・人が現れてくれれば最も理想的であるわけですが、
そうでない場合は、会社財産を個別に売却なり廃棄なりしていくしかないわけです。
ただ、どのどちらであるにせよ、会社清算の際の利益額を算定するのは現実には極めて困難であるわけです。
会社の事業運営の全てが安定的かつ経常的("stable" and "ordinary")である場合のみ将来の業績を予想することができるのですが、
その実、会社には清算というある意味最も臨時的("extraordinary")な出来事が必然的に最後に待ち受けている、
という点を鑑みますと、実際にはどのような場合でも将来の業績を正確に予想することはできない、という言い方ができます。
皮肉なことに、会社にとっては、最後には清算が行われるということ自体はある意味最も安定している("stable")ことなのです。
清算時に臨時的な・不規則な・非連続的な損益を計上せずに済むのは、会社が現金以外の財産を所有していない場合のみなのです。
一言で言えば、将来の業績を正確に予想することができるのは、非常に多くの理論上の前提が成り立っている場合だけなのです。

 


それから、紹介している3本目の記事についてですが、この記事を読んで(この記事自体は虚偽記載についての記事ですが)、
平時における上場企業の管理は証券取引所が行うべきだと思いました。
1999年10月以前の伝統的な証券制度では、投資家は日本経済新聞を購読することが証券投資の前提であったわけですが、
ある新聞社1社の新聞を購読することを証券投資の前提とすることは望ましくないと考えるならば、
証券取引所が証券会社に口座を所有している人宛てに言わば「会報」を毎日送付する、という考え方はどうだろうかと思いました。
もしくは、証券会社の支店が支店に口座を所有している人宛てに言わば「会報」を毎日送付する、
という考え方はどうだろうかと思いました(「会報」の内容自体はどの証券会社でも当然同一ですが)。
投資家はその「会報」を読めば最低限度の情報が日々入手できる、という証券制度を新たに構築するわけです。
毎日封筒で「会報」を郵送するとしても、1年間の郵便料金は3万円にもなりません↓。

82円/通×365通=29,930円

紙や文書作成や印刷や事務作業の費用を勘案するとしても、年間の口座管理手数料を一定度値上げすれば
金銭面では十分対応できる金額だと思います。
非常に大まかに言って、証券会社は年間の口座管理手数料を5万円値上げすれば、
「会報」を毎日口座保有者に郵送することができる、と言えるように思います。
投資家(証券会社に口座を開設している人)は、「会報」の費用として年間5万円を負担しなければならない、
という考え方はどうだろうかと思いました。
ただ、ここまで書いて、「官報を購読する費用は一体いくらだろうか?」とふと思いました。
官報を購読する費用はこちらです↓。

官報購読(全国官報販売協同組合)
ttps://www.gov-book.or.jp/kanpou/

>1ヶ月 3,641円(本体 1,520円+消費税121円+送料2,000円)

1年間官報を購読するとしますと、1年間の購読費用は5万円にもなりません↓。

3,641円/月×12ヶ月=43,692円

こうなりますと、投資家が目にしなければならない情報(法定開示書類の提出に関するお知らせの類)は官報に掲載する、
という考え方の方が様々な点で理に適うと私は考えます。
つまり、官報を購読することは証券投資の前提である、という証券制度にするわけです。
従来から官報を購読している投資家にとっては追加的な費用は一切かかりません。
また、まだ官報を購読していない投資家にとっては、1年間で43,692円の費用を追加的に負担しなければならなくなりますが、
上記のように、情報入手のための費用は証券投資をする上で投資家が必ず負担しなければならない費用であると考えるならば、
1年間で5万円未満の負担というのは決して重過ぎる負担ではありません。
各証券取引所が公告掲載人となって、上場企業による法定開示書類の提出に関するお知らせ(公告)を官報に掲載する、
というのは理に適った制度であると私は考えます。

 



さらに、発行者が現在日刊新聞紙に掲載することとなっている「公告」や「お知らせ」の類は、
全て官報に掲載するように規定を改めるべきではないかと思います。
いや、その考えも間違いであり、そもそも、「公告」や「お知らせ」の類は全て各証券取引所が掲載人となって官報に掲載する、
という考え方に官報掲載方法を整理するべきなのかもしれないな、と思いました。
発行者が官報に公告を掲載する、という考え方をやめるべきなのです。
各証券取引所が官報に公告を掲載する、という考え方の方が正しいように思います。
書類提出者と投資家との間には接点があってはならないと言いますか、
書類提出者と投資家との間には証券取引所がいなければならないと言いますか、
「書類の提出が行われました。」や「書類の提出が行われる予定です。」という旨の公告は、
書類提出者自身ではなく証券取引所が行なうべきである、という考え方に理論的にはなるように思いました。
それほどまでに書類提出者は投資家に対してアピールを行ってはならない、というのが理論上の考え方である気がします。
一言で言えば、書類提出者は中立でなければならない(投資家に対して何かを言ってはならない)、
というのが理論上の考え方である気がします。
投資家とのやり取りは全て証券取引所が行なう、この考え方が最も理論的であると私は考えます。
話を遡れば、財務局の職員が財務諸表を作成していた時も、公認会計士が財務諸表を作成していた時も、
そして公認会計士が財務諸表の監査を行っていた時(最初期の会計監査制度の時(1966年から20年ほどの間))も、
発行者は自社の財務諸表が一体いつ財務局に提出されるのか・提出されたのかを知る術は実はなかったのです。
なぜならば、自社以外の第三者が自社とは言わば無関係に自社の財務諸表を財務局に提出する制度になっていたからです。
市場に上場している自社株式も財務局に提出されている自社の有価証券報告書も、
あたかも発行者から独立しているかのように制度上は取り扱われていた、という証券制度であったわけです。
1980年代の半ばまでは、会社の社長さんでさえ、日本経済新聞を見て初めて自社の有価証券報告書が財務局に提出されたことを
知ることができた、という状況であったわけです(監査を行った公認会計士が一体いつ提出するかは会社側には分からないから)。
どちらかと言うと、発行者は公告を掲載したくても掲載できない(いつ書類が提出されたのか発行者自身ですら知らないから)、
という考え方の方がより正しいのだと思います。
戦前であれば財務局の職員(財務諸表を作成した本人)が、戦後であれば公認会計士(財務諸表を作成したり監査した本人)が、
書類を財務局に提出した旨の公告を掲載する、という考え方になるわけです。
現在の証券制度では、発行者が書類を提出しますので、公告を掲載するべきなのは発行者自身という考え方もあるかもしれません。
ただ、現在の証券制度においても、書類が提出された旨の公告を掲載するのは証券取引所である、という考え方はあると思います。
書類の提出が最大限客観的となるように制度構築をするべきだと私は考えます。
極端な状況を想定すると、書類の提出を行っていなくても発行者が書類の提出をしたと公告を掲載することも考えられます。
その結果、市場の投資家が混乱する(投資家が財務局まで赴く時間や費用が無駄にもなります)ことが考えられます。
投資家保護の観点からも、書類が提出された旨の公告は発行者ではなく証券取引所が行なうべきなのです。
以上書きました文章では、用語が厳密に使い分けができていないところがあります。
上場企業は、決算短信や適時情報開示は証券取引所に提出をする一方、
有価証券報告書や四半期報告書や臨時報告書は財務局に提出する、という重複した開示が求められる証券制度になっていまして、
文章を書いていて上手く書けないところがあるのですが、適宜用語の意味を汲み取ってくれればと思います。
結論としてましては、私は関係者や回し者では決してありませんが、「投資家は官報を購読することを証券投資の前提とし、
各種の書類の提出に際しては、証券取引所が都度官報に書類が提出された旨の公告を掲載する。」、
という情報通知制度を構築するべきである、となります。