2019年5月20日(月)


(社説)裁判員制度10年 司法と市民、鍛え合って前へ


 戦後最大の司法の変革である裁判員制度が始まって、あすでちょうど10年になる。
 これまでに約9万人が裁判員を経験し、1万2千人の被告に判決が言い渡された。
運用はおおむね順調といえるが、浮かびあがった課題も少なくない。
 刑事裁判にふつうの人の感覚や視点を採り入れることによって、市民との距離を縮め、
司法を真に社会に根ざしたものにするために、この制度は導入された。今後も不断の検証と改善に取り組まなければならない。

 ■交錯する光と影
 10年間の最大の成果は、裁判がわかりやすくなったことだ。
 警察や検察が作った供述調書に頼らず、公開の法廷でのやり取りや客観証拠をもとに、
検察が有罪を証明できているかを見きわめる。刑事裁判の本来の姿が、関係者の間で広く共有されるようになった。
 捜査側が持つ証拠を弁護側に開示する手続きが整備され、被告と弁護人がしっかり準備できる環境を整えるため、
保釈が認められやすくなった。言った言わないの争いをしなくて済むように、取り調べ状況の録音録画も行われることになった。
 裁判員の存在を原動力に、捜査・公判がより公正な方向に向かったのは間違いない。
それは裁判員裁判の対象でない事件にも及んでいる。この歩みを引き続き確実に進めるべきだ。
 量刑面でも変化があった。介護殺人などで被告の事情をくんだ判決や、更生への期待を込めた保護観察つき判決が増えた。
逆に人間の尊厳を踏みにじる性犯罪の量刑は重くなり、一昨年の刑法改正にもつながった。市民参加の果実といえる。
 一方で裁判員らが導き出した量刑が、高裁さらには最高裁で破棄されるケースも目につく。
過去の判決例から逸脱し過ぎていると指摘されるものが多く、公平性と市民感覚をどう両立させるかが問われている。
 取り返しのつかない死刑判決などは、プロがプロとして厳格にチェックするのは当然だ。
だが旧来の「相場」の押しつけになってしまっては、なぜ市民が裁判に参加する必要があるのかとの不信を招きかねない。
 一審の裁判官は、刑の均衡の大切さについて裁判員にどんな説明をしたのか。
それでもなお過去の基準にとらわれるべきではないと判断した事情を、判決の中で説得力をもって明らかにしているか。
かたや上級審は、市民が得心できる理由を示したうえで覆しているか。
 直接、間接の対話を通じて相互の理解を深める努力が、いま改めて求められている。

 


 ■問われる法曹三者
 制度の今後を考えたとき、一番の懸念は参加率の低下だ。
 裁判員の候補者に選ばれても辞退する人は、当初の53%から67%に。
辞退の手続きをしないまま呼び出し日に欠席する人も3割を超える。
最高裁は「運営に支障はなく、裁判員の属性も大きく偏ってはいない」というが、軽視できない事態だ。
 市民が敬遠する原因のひとつに審理の長期化がある。
 裁判員事件の審理日数の平均は、制度がほぼ軌道に乗った2010年の4・2日から、昨年は6・4日になった。
丁寧な審理を望む裁判員の声に応えてきた面があるにせよ、長くなれば参加できない人は増える。
 裁判に先立ち、裁判官、検察官、弁護人の法曹三者で、争点や提出する証拠を絞りこむ公判前整理手続きにかかる期間も、
同じく延びている。公判の開始が遅れるほど関係者の記憶は薄れる。
わかりやすい法廷をめざすための手続きが審理の質を損なうことになれば、本末転倒と言わざるを得ない。
 犯罪事実の認定や量刑に影響しない事柄まで、細かく争っていた過去への「揺り戻し」が起きてはいないか。
法曹はそれぞれの視点で足元を点検し、修正を図る必要がある。

 ■導入の原点忘れずに
 市民参加の意義は、刑事司法の改革にとどまらない。
 司法に対する国民の理解と支持を高め、立法や行政に対峙(たいじ)する基盤を強める。
市民も司法権の行使に直接関与することで、民主主義の担い手として成熟する。それも狙いとされた。
 だが実現はなお遠い。
 例えば民主政治の根幹に関わる一票の格差訴訟で、最高裁は国会に是正を迫る姿勢をむしろ後退させている。
憲法の理念に基づき少数者の権利を守るという、司法本来の使命を忘れた判断が下級審も含め散見される。
期待外れと言うほかない。
 市民の側に目を転じると、裁判員経験者からは、犯罪やそれを生んだ社会問題を「わがこと」ととらえ、
考えるようになったとの声が多く聞かれる。一方で容疑者・被告への過剰なバッシングや、
人権や民主主義を語ることを揶揄(やゆ)したり、おとしめたりする風潮が強まり、世の中に暗い影を落としている。
 多くの議論と苦労を経て作りあげ、定着しつつある裁判員制度だ。原点を忘れず、次の10年でさらなる発展を図りたい。
(朝日新聞 2019年5月20日05時00分)
ttps://www.asahi.com/articles/DA3S14021559.html

 

 


裁判員制度Q&A(裁判所ウェブサイト)
ttp://www.saibanin.courts.go.jp/qa/index.html

 

裁判員の選ばれ方(裁判所ウェブサイト)
ttp://www.saibanin.courts.go.jp/introduction/how_to_choose.html

>地方裁判所ごとに,管内の市町村の選挙管理委員会がくじで選んで作成した名簿に基づき,
>翌年の裁判員候補者名簿を作成します(裁判員候補者名簿に登録されるのは,20歳以上の方に限られます。)。

 

調査票でおたずねすること(裁判所ウェブサイト)
ttp://www.saibanin.courts.go.jp/introduction/tyousa.html

>就職禁止事由への該当の有無。(例:自衛官や警察職員など)

 

裁判員の資格に関する事項 法律に定められた裁判員になれない事由(裁判所ウェブサイト)
ttp://www.saibanin.courts.go.jp/vcms_lf/11.pdf

(ウェブサイト上と同じPDFファイル)

「就職禁止事由(法第15条)・・・裁判員の職務に就くことができない人」
(1〜2/4ページ)





2018年12月18日(火)のコメントで、ソフトバンク株式会社の上場に関する記事を計26本紹介し、
「有価証券の上場には4つのパターンがある。」という資料を作成し、以降、集中的に証券制度について考察を行っているのだが、
2018年12月18日(火)から昨日までの各コメントの要約付きのリンクをまとめたページ(昨日現在、合計153日間のコメント)。↓

各コメントの要約付きの過去のリンク(2018年12月18日(火)〜2019年4月30日(火))
http://citizen.nobody.jp/html/201902/PastLinksWithASummaryOfEachComment.html

各コメントの要約付きの過去のリンク その2(2019年5月1日(水)〜)
http://citizen2.nobody.jp/html/201905/PastLinksWithASummaryOfEachComment2.html

 

 


【コメント】
2009年5月21日に日本で裁判員制度が始まったわけですが、明日2019年5月21日でちょうど10年になります。
10周年だからというわけでもないのでしょうが、5月に入り裁判員制度に関連する記事が日本経済新聞に時々載っています。
個人的にはあまり興味がない分野です(私が裁判員に選ばれることはないでしょう)ので、
裁判員制度に関しては特にコメントはないのですが、裁判員制度開始から10周年ということで、
裁判員制度や関連する用語について少しだけ学んでみたいと思います。
まず、裁判員による裁判が行われるのは「刑事裁判の一審だけ」ということになっています。
このことは検察側から見ると、裁判員制度は裁判を進めていく中では度外視できるという言い方ができると思います。
なぜならば、一審で不本意な判決が下された場合は、検察は上訴すればよいからです。
二審からは裁判官のみによる裁判が行われますから、検察としては始めから二審からがスタートだと考えればよいわけです。
裁判の長期化は、被告側にとっては心身ともに苦痛を伴うものですが、検察にとっては痛くもかゆくもないことです。
裁判員による裁判が行われるのは「刑事裁判の一審だけ」である理由は、
簡単に言えば「裁判に間違い(取り返しがつかないこと)があってはならないから。」といったところなのかもしれませんが、
その理由は裁判員制度そのものを否定している部分もあると思います。
「一審だけなら間違ってもよい。」などという考え方はないわけです。
裁判員による裁判が行われるのは「刑事裁判の一審だけ」であると言っている時点で、何のことはなく、
「裁判員による裁判は間違うことがあり得る。」と認めているようなものではないでしょうか。
万が一私が裁判所で裁かれることがあるならば、裁判員ではなく裁判官によって裁かれたいと私は思います。
それから、裁判員は英語で何と言うのだろうかと思いました。
法律の公式英訳では「裁判員」は何と驚いたことに"saiban-in"と訳されています。
より具体的には、「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」という法律の公式英訳は
"Act on Criminal Trials with the Participation of Saiban-in"となっており、
条文中の「裁判員」の英訳も"saiban-in"となっています(「裁判員」それ自体はやはり日本独自の制度だからでしょうか)。
私が2004年2月に聞いた話では、「裁判員」の公式英訳は"jury"という単語が充てられると聞きました。
"jury"とは、米国の司法制度における「陪審(陪審員団)」 という意味です。
また、一部の新聞等における英訳になりますが、「裁判員」を"lay judge"と訳している新聞等もあります。
この場合の"lay"は、「(聖職者に対して)平信者の、俗人の、しろうとの、本職でない」という意味です。
この場合の"lay"の語源は、ギリシャ語「人民の」という意味であるとのことですので、まさに絶妙な英訳だと私は思います。
"professional judge"(職業裁判官)と対になる言葉としては"lay judge"(市民裁判員)が実を的を射た英訳だと私は思います。
最後に、「裁判員の就職禁止事由」についてですが、個人的な見解になりますが、法理的にはですが、
「公務員は裁判員になれず公務員以外のみが裁判員になれる。」という考え方になるように私は思います。
例えば、弁護士が裁判員になることは何ら問題ないと思います(裁判員の役割も一種の社会正義の実現ではないでしょうか)。



Persons who are in the administrative grade of the Civil Service are legally able to serve on a jury.

一般職の公務員は法律上裁判員になることができます。

In my personal opinion, on the theory of law,
the Civil Service in general are not able to serve on a jury but the others are able to serve on a jury.

私個人の考えになりますが、法理上は、公務員全般は裁判員になることができず、公務員以外が裁判員になることができるのです。